湯沢七夕絵どうろうまつり
雨の少ない、日差しの強い、梅雨ですね、先週と今週の休日皐月の剪定作業に追われています。ここ小安峡温泉は皐月の自生地が無い処です、関東周辺の自生地からすると四十日~五十日ぐらいは開花時期が遅れています。例年ですとちょうど皐月の開花期と梅雨の長雨が一緒になってしまい、二~三鉢を屋内に取り込み花を楽しみますが。残りの鉢花は雨に打たれて、見るも忍びない姿になり早く剪定をしなければと思いつつものびのびの状態です。今年も長雨こそ無かったものの雨に打たれて見る影もなく、見る人が見れば皐月がかわいそうに見えるかもしれません、アシカラヅ こんな状態ですけど植え替えをしたり肥料をあげたり、しているとまた来年にはきれいな花をたくさん咲かせます。そして雨に打たれての繰り返し、きっと何時かはいい時が来る事でしょう。こんなことをやっている今が一番いいときかもしれません。
 今日は七夕、五節句の一。7月7日の行事。この夜、天の川の両側にある牽牛(けんぎゅう)星・織女星が、年に一度会うといい、この星に女性が技芸の上達を祈ればかなえられるといって、奈良時代から貴族社会では星祭りをした。とある辞書にあった、湯沢市の七夕絵どうろうまつりは来月八月五日~七日に開催されます。
昔、むかし、徳川さまは元禄のころと申しますから、今では三百年くらいむかしのことでございます。  京の都でも左大臣家として、とりわけ由緒を誇っておられました鷹司家から、このみちのくは湯沢、佐竹南家七代目御当主・義安様の御もとに、それはそれは美しい姫君がお興し入れになられました。 御年、十四歳。幼い姫君を遠いみちのくにお嫁入りさせるとあって、京の都での心配もいかばかりでございましたことか。心やさしく匂うばかりのお姫様には、ともかくもふたりのお腰元をつけてのお輿入れであったと申し伝えられております。 あくる年、十五歳。いつの間にか「京都奥様」と呼ばれ、この土地の人々からもこのうえなく慕われるようになられた姫君様ではございましたが、さすがに住みなれた都に寄せる思いのたけは尽きることがなかったようでございます。その年の陰暦は七月七日、たなばたの夜¬満天の星を眺めやりながらの都をおしのびになる姫君の淋しそうなお姿には、おそば近くの誰もが皆こころを痛めたということでございます。 都からおともされたふたりのお腰元は、せめてもの心づくしにと、絵灯ろうをお屋敷の軒端にかかげ、ひと夜しみじみと都の風雅をしのびながらお姫様をお慰め申し上げたとのことでございます。こんなことがありましてからは、「京都奥様」のお幸福を願うこの町の人々は誰からともなく七夕の夜がめぐり来るごとに、家々の軒端に、あるいは青竹にとこの絵灯ろうを飾りつけるのが習わしになっていったということでございます。このようにして「京都奥様」と呼ばれ、この町の人々からこのうえなく親しまれました姫君は、やがて「保寿院」と称され、このみちのくで五十七歳のご生涯を全うされたのでございました。全国は津々浦々で毎年華やかにくりひろげられる
「星祭り」のなかでも、とりわけ、みやびでしみじみとした情趣をたたえていると言われる、このみちのく湯沢の
「絵どろうまつり」には、このような美しい物語と、それを二百数十年にわたって受け継いできた私たち祖先の心やさしい歴史が秘められているのでございます。 かたりべ かしこ
と湯沢七夕絵どうろうまつりの由来をご紹介します。
少し長かったかな・・・・
by yadoya-sanpei | 2009-07-07 18:39 | Comments(2)
Commented by yankou06 at 2009-07-13 21:00 x
パチパチパチッ!!
あれ~読んでなかったのか?

先日はおいしい「お弁当」、ありがとうございました!おかげさまでSケイツアーズの皆さんに
喜んでいただける案内ができました!
Commented by 三平 at 2009-07-13 21:53 x
よかったよかった、また来てください。
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