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秋田の夏祭りあれこれ
 梅雨入り後ぜんぜん雨が降る気配がなく空梅雨みたいなことを書きましたが、ここに来て梅雨本番の天気が続いています。梅雨明け宣言はいつの頃やら4~5年前も梅雨明け宣言の無い年があったように思います。発達した低気圧による大雨、土砂災害等全国各地で起きており被災者の方々および関係者の方々の懸命な努力ご苦労様です。一日も早い復旧に向けて頑張って下さい。

8月1日  白瀑神社の みこしの滝浴び
今から1.100年ほど前に慈覚大師円仁によって創建されたといわれる白瀑神社の例祭で行なわれる神事。正午すぎには神社裏手の滝壺に入って五穀豊穣、家内安全などを祈願する、勇壮で涼気漂う風物詩として全国的にも珍しいそうです。

8月3~6日 秋田竿燈まつり
七夕行事「ねぶり流し」が起源といわれる秋田最大の夏祭り、重さ50kgもの竿燈(大若)を持ち上げて演技する力と技の競演が見もの

8月5~7日 吾が湯沢市の七夕絵どうろうまつり
先のブログに書いてありますので読んで下さい。

8月16~18日 西馬音内盆踊り
かがり火の中で野生的なお囃子に対し、優雅で流れるような上方風の美しい踊りの対照が西馬音内盆踊りの特徴だそうです。踊りには音頭とがんけがあり、がんけは、月光の夜を飛ぶ雁の姿を踊りから連想した「雁形」、仏教伝来の「観化」、現世の悲恋を痛み、来世の幸運を願う「願生化生祭り」がつまって「願化踊り」と呼ばれたとの諸説があるそうです。
がんけの歌詞、節回しには哀調が漂い、本来娯楽の踊りでなかった事を物語るのではないでしょうか。ゆっくりとした足の運び、しなやかな手振り、そして、艶やかな端縫いの衣装やひこさ頭巾が見る者を魅了します。

8月19・20日 花輪ばやし
市街地の山麓に位置する幸稲荷神社の祭礼ばやしとして引き継がれ、日本三大ばやしに数えられる見事なお囃子を夜通し繰り広げる民俗芸能。10町内から屋台を出して練り歩き、熱狂的な掛け声とともに笛や太鼓の華やかなリズムと洗練されたメロディーを響かせる。ケヤキやカツラ材に漆や金箔を施した絢爛豪華な屋台は必見価値あり。

8月第4土曜日 全国花火競技会
「大曲の花火」は明治43年(1910)に、諏訪神社祭典の奥羽六県煙火共進会として開催されたのが始まり。4年目からは全国煙火競技会となって規模が拡大され、途中戦争で一時的に中断はあったものの、昭和21年から全国花火競技大会となりました。
「大曲の花火」が花火関係者の間で最も権威ある大会として位置づけられているのは、まず、花火をつくった本人が自らの手で打ち上げなければならないということ。次にその美しさや内容によって内閣総理大臣賞、経済産業大臣賞、文部科学大臣奨励賞など、権威ある賞が授与されることです。
 さらに競技玉として、創造花火が採用されているのもポイントです。創造花火は自由な発想で花火の立体感、リズム感などを競い合うもので、毎年斬新な発想のアイデア花火が、夜空いっぱいに打ち上げられます。

それに毛馬内盆踊り8月21~23日と夏の秋田はまつりの目白押しです。皆さんお誘い会わせて秋田においでください。その時は「やどや三平」のご利用をお待ちしております。
by yadoya-sanpei | 2009-07-28 21:57 | Comments(0)
濁流
 昨日の朝から今日の夕方まで断続的に雨が降り続き、濁流と化した皆瀬川です。10年以上も前になりますが、これよりも水量が増したことがあります。その時は後ろの市道まで水があがり、桂沢橋架け替えの為の仮設橋が流されました。写真の滝に見える所は発電所の水路と堰堤で、普段はコンクリート剥き出しの風景ですがこうして見るとなかなかの迫力です。
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皆瀬川 桂沢地区
by yadoya-sanpei | 2009-07-19 19:51 | Comments(0)
カキラン
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この花カキラン(柿蘭)ラン科カキラン属 名前の由来は花の色が柿の実の色に似ているからとのことです。
撮影場所は三平の裏庭(庭と言うより空き地)の片隅、なぜこの場所に咲いているのかと言うとたぶん三平を創める前にここで山野草を栽培していまして、その種が発芽したのではと思います。その時は地植えでなく鉢栽培で、その親株はとうの昔になくなりました。5~6年前から花を咲かせるようになり毎年2~3株ふえています。手入れをしていた物がなくなり、植えても育たないような所で芽を出す自然はたいしたものだ。
左下にチョロット見えるトカゲも凄い色をしてます。
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ピンボケでごめんなさい。
by yadoya-sanpei | 2009-07-13 21:37 | Comments(0)
湯沢七夕絵どうろうまつり
雨の少ない、日差しの強い、梅雨ですね、先週と今週の休日皐月の剪定作業に追われています。ここ小安峡温泉は皐月の自生地が無い処です、関東周辺の自生地からすると四十日~五十日ぐらいは開花時期が遅れています。例年ですとちょうど皐月の開花期と梅雨の長雨が一緒になってしまい、二~三鉢を屋内に取り込み花を楽しみますが。残りの鉢花は雨に打たれて、見るも忍びない姿になり早く剪定をしなければと思いつつものびのびの状態です。今年も長雨こそ無かったものの雨に打たれて見る影もなく、見る人が見れば皐月がかわいそうに見えるかもしれません、アシカラヅ こんな状態ですけど植え替えをしたり肥料をあげたり、しているとまた来年にはきれいな花をたくさん咲かせます。そして雨に打たれての繰り返し、きっと何時かはいい時が来る事でしょう。こんなことをやっている今が一番いいときかもしれません。
 今日は七夕、五節句の一。7月7日の行事。この夜、天の川の両側にある牽牛(けんぎゅう)星・織女星が、年に一度会うといい、この星に女性が技芸の上達を祈ればかなえられるといって、奈良時代から貴族社会では星祭りをした。とある辞書にあった、湯沢市の七夕絵どうろうまつりは来月八月五日~七日に開催されます。
昔、むかし、徳川さまは元禄のころと申しますから、今では三百年くらいむかしのことでございます。  京の都でも左大臣家として、とりわけ由緒を誇っておられました鷹司家から、このみちのくは湯沢、佐竹南家七代目御当主・義安様の御もとに、それはそれは美しい姫君がお興し入れになられました。 御年、十四歳。幼い姫君を遠いみちのくにお嫁入りさせるとあって、京の都での心配もいかばかりでございましたことか。心やさしく匂うばかりのお姫様には、ともかくもふたりのお腰元をつけてのお輿入れであったと申し伝えられております。 あくる年、十五歳。いつの間にか「京都奥様」と呼ばれ、この土地の人々からもこのうえなく慕われるようになられた姫君様ではございましたが、さすがに住みなれた都に寄せる思いのたけは尽きることがなかったようでございます。その年の陰暦は七月七日、たなばたの夜¬満天の星を眺めやりながらの都をおしのびになる姫君の淋しそうなお姿には、おそば近くの誰もが皆こころを痛めたということでございます。 都からおともされたふたりのお腰元は、せめてもの心づくしにと、絵灯ろうをお屋敷の軒端にかかげ、ひと夜しみじみと都の風雅をしのびながらお姫様をお慰め申し上げたとのことでございます。こんなことがありましてからは、「京都奥様」のお幸福を願うこの町の人々は誰からともなく七夕の夜がめぐり来るごとに、家々の軒端に、あるいは青竹にとこの絵灯ろうを飾りつけるのが習わしになっていったということでございます。このようにして「京都奥様」と呼ばれ、この町の人々からこのうえなく親しまれました姫君は、やがて「保寿院」と称され、このみちのくで五十七歳のご生涯を全うされたのでございました。全国は津々浦々で毎年華やかにくりひろげられる
「星祭り」のなかでも、とりわけ、みやびでしみじみとした情趣をたたえていると言われる、このみちのく湯沢の
「絵どろうまつり」には、このような美しい物語と、それを二百数十年にわたって受け継いできた私たち祖先の心やさしい歴史が秘められているのでございます。 かたりべ かしこ
と湯沢七夕絵どうろうまつりの由来をご紹介します。
少し長かったかな・・・・
by yadoya-sanpei | 2009-07-07 18:39 | Comments(2)